「おばあちゃん、携帯電話もう使わないし、もったいないから解約してね。」
母がマスクをつけて上の階に上がってきて私に告げた。
私の祖母は、下の階で、父・母と生活している。90を超え、足腰も頭も弱ってきた。でも、毎日誰にも迷惑をかけず、仏のように静かに暮らしている。
私が、祖母に携帯電話をプレゼントして月額料金を払いはじめて14年たった。2年に1回送られてくる、長期利用割引の満期を知らせるはがきが送られてきた。それをきっかけに、母は話をしに来たようだ。
「ネットで解約できるらしいから、頼むね。」
そう言って、はがきを置いて、母は下に降りて行った。
はがきを受け取った私はとても、もやもやした気分になった。
「解約しなくたっていいんじゃないか?」
でも、私は、祖母が携帯電話を使う必要がないことをわかっていた。もう、一人で出かけることができないからだ。
祖母が、一人で出かけなくなって、2年ぐらいたつだろうか。それまでは、友人とイトーヨーカドーで落ち合って、一日フードコートで雑談をしていた。たまたま買い物に行った妻や私が、偶然フードコートで出会うこともしばしばあった。
「あー!おばあちゃん、来てたんだ!」
その光景は今は、見られない。だから、携帯電話が必要ないだろうことは、私には想像ができた。
しかし、どうしても、解約する気になれず、今もこの机の前に携帯電話会社からのはがきが置いたまま、手続きができないでいる。
使わない回線を契約しておく意味は、ない。そして、解約に費用が掛からないのは、3月末まで、あと二週間程度。やっておくべきなのだ。だが、何故だろう。解約したくないのである。
自分の感情を探ってみる。
寂しいのかな、ちがう。辛いのかな、ちがう。苦しいのかな、ん~ちがう。
悲しい、んだな。でも、なぜ悲しいのだろうか。
携帯電話を購入して、祖母に渡したあの日。うれしそうだった祖母を思い出す。
そうか・・・
私は「誇らしさ」を失うことが嫌だったのだ。
そして、失うことになる現実が悲しくて、受け入れたくなかったのだ。
祖母の携帯電話を、私が購入して使ってもらっていることは、私の誇りだった。
なぜ、誇りに思うのだろうか。
そう、それは、祖母を人として尊敬していて祖母が好きだから、だ。その祖母に、自分が貢献していることが、うれしくて、褒められるのがうれしくて…
涙が出てくる。胸をわしづかみにされる、苦しい嗚咽、悲しみ。
いつもそうだ、祖父が死んだときも、祖父を思うときも、この悲しみが来るんだ。
その祖母が、老い衰えて、幸せそうだけれども、確実に死に向かっている事実。私は、それを受け入れることができずにいるんだ。
この一件を通じて、結局は、人の死を、そして、自分の死、を受け入れることの、悲しさ、やるせなさを、またしても、思い知ることになった。
でも、どうにもならないじゃないか。感傷に浸っても、事実は変わらないんだから!
私は、この思いを胸に祖母を大切にするんだ。
そして、携帯電話を解約する。
違う誇りを手に入れることにする。
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